「六十卷といふ書、読みたまひ、おぼつかなきところどころ解かせな
どしておはしますを、「山寺にはいみじき光行なひ出だしたてつまれ
り」と、「仏の御面目あり」と、あやしの法師ばらまでよろこびあへり。」
源氏物語 榊
「源氏は天台の経典六十卷を読んで、難解な所を僧たちに聞いたりな
どして過ごしているのを、「山寺には輝くばかりの光が差すような行で
ある」と、「仏には名誉なことである」と、身分の低い僧たちまでも喜こ
びあっている。」
「十二月十余日ばかり、中宮の御八講なり。いみじう尊し。日々に供養
ぜさせたまふ御経よりはじめ、玉の軸、羅の表紙、帙簀の飾りも、世に
なきさまにととのへさせたまへり。さらぬことのきよらだに、世の常なら
ずおはしませば、ましてことわりなり。仏の御飾り、花机の簀おほひなど
まで、まことの極楽思ひやらる。初めの日は、先帝の御料。次の日は、
母后の御ため。またの日は、院の御料。五卷の日なれば、上達部など
も、世のつつましさをえしも憚りたまはで、いとあまた参りたまへり。今日
の講師は、心ことに選らせたまへれば、「薪こる」ほどよりうちはじめ、
同じう言ふ言の葉も、いみじう尊し。親王たちも、さまざまの棒物ささげ
めぐりたまふに、大将殿の御用意など、なほ似るものなし。常におなじ
ことのやうなれど、みたてまつるたびごとに、めづらしからむをば、いか
がはせむ。」 源氏物語 榊
「十二月十日過ぎころ、中宮の御八講である。たいそう荘厳であった。
日々の供養の御経をはじめ、玉の軸、羅の表紙、帙簀の装飾も、極上
のものを用意された。日常の品の装飾にも、この上もなくきよらかで立
派なものを整えていた位だったから、この日の荘厳さと言ったらない。
仏像の飾りや花机の覆いなどまで、本当の極楽浄土が想起されるよう
だった。初めの日は、中宮の父帝の御菩提のため、次の日は母后のた
め、三日目は故院の御菩提のためで、法華経の第五卷の講義の日で
あったから、上達部も現在の権勢に憚ることなく、多くの者が参上した。
今日の講師は、特に厳選されているので、「法華経かいかにして得し薪
こり菜摘み水汲み仕えてぞ得し」という歌が唱えられはじめると、同じ言
葉でもたいそう尊く思われるのだった。仏前に親王方も様々の供物を捧
げて行道なさるが、源氏の優美な装いなど、やはり他の人の追随を許す
ものではない。いつものことだが、拝見するたびに素晴らしいのはどうし
たことだろうか。」
故院の一周忌から法華八講が行われるが、これは平安時代初頭に死者
の追善供養を目的として営まれて以降、盛んに平安貴族の間に広まった。
具体的には、読師が経題を唱えて講師が経文を講釈し、さらに間者が教
義上の質問をして講師がそれに答え、精義が門答を判定、堂達が進行を
司る。天台宗の根本経典である法華経は、「護国も経典、成仏の直道」と
して、平安貴族に篤く信仰された。