法華八講 薪の行道(五卷の日)
平安貴族の法要の中でもとりわけ華やかなのが、「五卷の日」の薪の
行道である。これは、本尊または堂塔の周囲を右回りに巡るものである。
釈尊は千年の間、仙人に仕え、木の実を採り水を汲み、薪を拾い食事
の支度をし、時には仙人の腰掛けになって、法華経の教えを授かった。
一般的な行道では、僧達が華籠を手にして、散華しながら巡るが、法華
八講では釈尊の苦行を偲んで、薪や水桶、菜籠などを背負った人々が加
わり、「法華経を我が得しことは薪こり菜摘み水汲み仕えてぞ得し」という
法華讃嘆を唱えながら回った。その後を捧物を捧げ持つ参会者が続いた。
栄花物語、小右記、中右記などには、誰の捧物は何で誰が持って巡った
か、と詳細に書かれている。捧物には各参会者が競って趣向を凝らし、絢
爛豪華な品々が供えられた。
「御堂関白記」によれば、藤原道長は寛弘元年五月一九日発願で東三
女院詮子追善八講で一条天皇、花山院、中宮彰子から捧物を賜っている。
法華八講は、比叡山天台宗の顕教的な経典を中心としており、千年とい
うとうてい不可能な修行であり、真言密教の即身成仏という修行とは大きく
異なっている。源氏の恋の病という煩悩は一向に修まることはなく、后階級
との禁忌とトラブルは、源氏を須磨へ追いやることになる。
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