2013年6月12日水曜日

野ざらし紀行 小夜の中山


  
           馬に寝て 残夢月遠し 茶の煙    小夜の中山

 20日余りの月がかすかに見えて、山の麓の暗い中を、馬に鞭を垂れ
て数里旅して来たが、いまだ鶏は鳴かない。杜牧が詠んだ「早行」の残
夢は小夜の中山まで来ると驚いて目が覚めた。西行の詠んだ小夜の中
山である。
 
 年たけて また越ゆべしと 思いきや 命なりけり 小夜の中山
 風になびく 富士の煙の 空に消えて 行方も知らぬ わが思ひかな

                                      西行

 小夜の中山には、芭蕉の「涼み松」があったと言われる処に、芭蕉の
句碑がある。
            命なりわづかの笠の下涼み
「野ざらし紀行」には載っていないが、小夜の中山で詠んだと云う。


小夜の中山と夜泣き石
































2013年6月7日金曜日

野ざらし紀行 大井川


     秋の日の 雨江戸に指折らん 大井川      千里

 大井川を越える日は、終日雨降りだったので、千里が一句詠んだ。
大井川は江戸の防衛と徳川家康の隠居城であった駿府城の外堀と
して、架橋はおろか渡し船も厳禁とされた。大井川を馬や人足を利
用して輿や肩車で渡河した川越(かわごし)が行われた。

    道のべの 木槿は馬に 食はれけり
     
 むくげの花は早朝に開花し夕方には凋んでしまう。「槿花(きんか)
一朝の夢」とは、果かない人の世の栄華の喩えである。白祇園守
(しろぎおんまもり)という品種は、御茶事の花、生け花として源氏
の武士の間で広く栽培されていた。現代でも、茶室に生けられる。





















広重「東海道五十三次」 興津宿



府中宿



2013年6月6日木曜日

野ざらし紀行 富士川


           猿を聞人捨子に 秋の風いかに

芭蕉は富士川のほとりで、3つばかりの捨子が哀れ気に泣いて
いるのに出くわす。親はこの富士川の早瀬のようなうき世の波を
凌ぐに堪えず、露のようなわずかな命でもとこの子を捨て置いた
のだろう。

 「小萩がもとの秋の風、今宵や散るらん、明日や萎れんと、袂
より食物投げて通るに、」
 

「猿を聞く人」とは、中国の故事中の子を失った母猿の断腸の叫
けびを漢詩文で謳った詩人達を指すと云う。秋風の吹く川原で泣
く捨子の哀れさに寂寥を覚えるばかりだ。この捨子は創作かもし
れない。芭蕉の心象風景か?


 「いかにぞや、汝父に悪まれたるか、母に疎まれたるか。父は
汝を悪むにあらじ、母は汝を疎むにあらじ。唯これ天にして、汝
が性の拙きを泣け!」


閑話休題

富士川といえば、平家物語の富士川の合戦で有名である。
「富士川大合戦図」