2013年7月28日日曜日

源氏物語と日本人の信仰心 五檀の御修法


 「わづらはしさのみまされど、尚侍の君は人知れぬ御心し通へば、
 わりなくてと、おぼつかなくはあらず。五檀の御修法の初めにて、
 慎みおはします隙をうかがひて、例の、夢のやうに聞こえたまふ。
 かの、昔おぼえたる細殿の局に、中納言の君、紛らはして入れ
 たてまつる。人目もしげきころなれば、常よりも端近なる、そら恐
 ろしうおぼゆ。
  朝夕に身たてまつる人だに、飽かぬ御さまなれば、まして、め
 づらしきほどにのみある御対面の、いかでかはおろかならむ。
 女の御さまも、げにぞめでたき御盛りなる。重りかなるかたは、
 いかがあらむ、をかしうなまめき若びたる心地して、見まほしき
 御けはひなり。」 源氏物語 榊

 「昔よりもいっそう恋の自由のない境遇にいても尚侍は絶えず
 恋をささやく源氏と文を交わしていたので、幸福観がないでも
 なかった。宮中で行わせられた五檀の御修法(みずほう)のた
 めに帝が御謹慎をしておいでになる頃、源氏は夢のように尚侍
 へ近づいた。昔の弘徽殿の細殿の小室へ中納言の君が導いた
 のである。御修法のために御所へ出入りする人の多い時に、こ
 うした密会が、自分の手で行われることを中納言の君は恐ろしく
 思った。朝夕に見て見飽かぬ源氏を稀に見た尚侍の喜びが想像
 される。女も今が青春の盛りの姿と見えた。貴女らしい端厳さなど
 は欠けていたかもしれぬが、美しくて、艶で、若々しくて男の心を
 十分に惹く力があった。」与謝野晶子訳

五檀の御修法とは、比叡山中興の祖・良源(912年~985年)が平
安貴族たちに広めた五大明王を本尊とする五檀法で、調伏の法
(怨霊などを討ち破る法)として用いられた。五大明王とは、不動
明王、降三世明王、軍荼利夜叉、大威徳明王、金剛夜叉である。

「紫式部日記」には、中宮彰子の安産を妨げようとする怨霊を調
伏する五檀法が克明に描かれている。

 「御帳のひむがしおもては、うちの女房まゐりつどひてさぶらふ。
 西には、御物のけうつりたる人々、御屏風一よろひを引きつぼ
 ね、つぼねぐちには几帳を立てつつ、験者あづかりあづかりの
 のしりゐたり。南には、やむごとなき僧正・僧都かさなりゐて、不
 動尊の生きたまへるかたちをも、呼びいであらはしつべう、たの
 みみ、うらみみ、声みなかれわたりにたる、いといみじう聞こゆ。」

 「中宮様の伏される御帳台の東面の間には内裏から一緒につい
 てきた女官たちが集まって控えている。西面の間には物の怪が
 乗り移ったよりましの人々を一人ずつ屏風で囲い、その出入り口
 に几帳を立てて、各修験者が一人一人を受け持って大声で祈祷
 をしている。南面の間には、貴い僧正や僧都が何重にも座ってい
 て、生ける不動明王のお姿を呼び出さんばかりに、頼みつ恨みつ、
 みな声も嗄れ果ててしまっているのがなんとも尊く聞こえる。」
                      宮坂宥勝著「不動信仰辞典」
 

















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