加持祈祷
密教とは簡単に言えば、薬のようなもので、病気になったら、薬を処方
するようなもので、これが加持祈祷にあたる。顕教は病気にならないよ
うに、日頃から因果応報を知り、生活の規律を守り、智恵を学ぶことだ。
病気になって説法したところで効果はない。回復してから説法すれば効
果は高いだろう。煩悩を断ち切る方法として加持祈祷を用いる。因果応
報を知ることも大切で、瞑想によって考えを深める。瞑想のやり方もマ
ニュアル化されている。
「大将の君は、宮をいと恋しう思ひきこえたまへど、「あさましき御心の
ほどを、時々は、思い知るさまにも見せたてまつらむ」と、念じつつ過ぐ
したまふに、人悪ろく、つれづれに思さるれば、秋の野も見たまひがて
ら、雲林院に詣でたまへり。」 源氏物語 榊
「源氏は中宮をとても恋しく思いながらも、つれない御心の報いを思い
知ればいいと、念じるように過ごしていたが、狂おしいくらいに中宮の
ことが想い起こされ、気持を紛らすために、秋の野も眺めがてら、雲
林院に参詣した。」
雲林院
淳和天皇の離宮・紫野院が後に、花山に元慶寺を建立した僧正遍昭
に託され、官寺「雲林院」となる。雲林院の菩提講は、「今昔物語」、「大
鏡」にも登場し、古今和歌集や謡曲「雲林院」の題材にもなった。桜、紅
葉の名称としても知られる。
雲林院境内には、「紫式部産湯の井戸」があり、紫式部はこの周辺で
生まれ育ったとされる。紫式部の墓所伝承地も雲林院近くにある。
遍昭は、天台密教を完成させた円仁・円珍に師事した。六歌仙の一人。
「故母御息所の御兄の律師の籠もりたまへる坊にて、法文など読み、
行なひせむ」と思して、二、三日おはするに、あはれなること多かり。
紅葉やうやう色づきわたりて、秋の野のいとなまめきたるなど見たま
ひて、故里も忘れぬべく思さる。法師ばらの、才ある限り召し出でて、
論議せさせて聞こしめさせたまふ。所からに、いとど世の中の常なさ
を思し明かしても、なほ「憂き人しもぞ」と、思し出でらるるおし明け方
の月影に法師ばらの閼伽たてまつるとて、からからと鳴らしつつ、菊
の花、濃き薄き紅葉など、折り散らしたるも、はかなげなれど、「この
かたのいとなみは、この世もつれづれならず、後の世はた、頼もしげ
なり。さも、あぢきなき身をもて悩むかな」など、思し続けたまふ。」
源氏物語 榊
「源氏の母君の桐壺の御息所の兄君の律師がいる寺へ行って、経
を読んだり、勤行もしようと思って、二、三日こもっているうちに身に
しむことが多かった。紅葉はいっそう色づきわたって、秋の野の妖艶
な様を見て、家のこともすっかり忘れてしまいそうである。学僧だけを
選んで討論をさせて聞いた。所がら、人生の無常さばかりをつくづく
思ってみても、歌にあるように、なを「つれない人が恋しく忘れられな
い」と、思い出される。明け方の月影のもとで、僧たちが閼伽を仏に
供えるために、からからと音をさせながら、菊や濃淡の混ざった紅葉
などを折り散らしているのも、ちょっとしたことではあるが、僧の営み
は、この世で退屈することなく、後の世が期待できるものだ。自分は
なんとも、厭わしい境遇をもてあまし煩悶していることであろう か。」
与謝野晶子訳
山寺の営みやたたずまいに、源氏は心引かれながらも、中宮への思い
は消えない。「天の戸を押し明け方の月みれば憂き人しもぞ恋しかりけ
る」古今集の恋の歌を引き合いに、恋の煩悶という無明のあけることは
ない。
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