2013年5月20日月曜日

日本文化の諸相   芭蕉

                       芭蕉「野ざらし紀行」
    
         野ざらしを    心に風の    しむ身哉
           秋十(と)とせ  却って江戸を  指さす故郷
 
 貞享元年秋、徳川第五代将軍綱吉の頃、芭蕉は隅田川深川の庵か
門人の千里(ちり)を伴い、故郷の伊賀上野に向かった。野ざらしとは、
野に晒したしゃれこうべのことである。芭蕉四十一才。五年後には奥の
細道への旅に出る。
 江戸も十年になるが、故郷に向かう旅が却って江戸を恋しく思う。葛飾
北斎と安藤広重の対照的な個性のように、芭蕉の句には対立する概念
が対照的に描かれている。ここでは、「野ざらし」と「こころ」であり、「江戸」
と故郷(伊賀上野)である。

            霧しぐれ    富士を見ぬ日ぞ  面白き  (箱根)

「関越ゆる日は雨降て、山皆雲に隠れたり。」箱根の関所を越える日は
雨降りで、いつも深川の草庵から眺めていた富士山は見えない。山深く
一面は霧に覆われている。心中に晴れた日の富士を思い描くのも一興
である。芭蕉は禅宗の影響を強く受けていると思われる。「野ざらし」は
禅定の白骨観から来ているのかも知れない。
               



            
北斎の富士





      

2013年5月17日金曜日

日本文化の諸相 俳句

       
     水取りや 氷の僧の 沓の音   (野ざらし紀行 芭蕉)


 「白隠(1685~1768)の「座禅和讃」を見ても、「衆生本来仏なり。
水と氷のごとくにて」と衆生本来仏だ、水と氷のようなものだと言って
いるが、これが華厳経だけでなく、大乗仏教の基本的な考え方である。」
                           鎌田茂雄「華厳の思想」
  
 鎌田氏は柳生但馬守宗矩の禅の師である沢庵宗彭(そうほう)の「不
動智神妙録」から引用して、次のように説明している。
 「これによると、本心というのは1ヵ所に固まらず、全身全体に広がる
心であるのに対して、1ヵ所に固まり、思いつめたる心が妄心であると
いう。これを喩えていえば本心は水、妄心は氷のようであり、本心は水
のように1ヵ所に止まることなく、妄心は氷のように水がこりかたまった
ものであるという。」

不動智神妙録  沢庵宗彭

本心盲心と申す事の候。本心と申すは一所に止まらず、身体全体に延
びひろごりたる心にて侯。妄心は何ぞ思いつめて一所に固り候心にて、
本心が一所に固り集りて妄心と申すものに成り申し候。本心は失ひ候
と所々の用が欠ける程に失はぬ様にするが専一なり、たとえば本心は
水の如く一所に留まらず、妄心は氷の如くにて、氷にては手も頭も洗は
れ不申候、氷を解かして水と為し、何処へも流れるやうにして手足をも
何をも洗うべし、心一所に固り一事溜り候へば、氷固まりて、自由に使
われ申さず、氷にて手足の洗はれぬ如くにて候、心を溶かして総身へ
水の延びるやうに用い、其所に遣りたきままに遣り使い候、是れを本心
と申し候。


白隠禅師座禅和讃を参考として掲げておく。

衆生本来仏なり 水は氷の如くに 水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ たとえば水の中に居て
渇を叫ぶが如くなり 長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず
六趣輪廻の因縁は 己が愚痴の闇路なり 闇路に闇路を踏そえて
いつか生死を離るべき 

夫れ摩訶衍の禅定は 称歎するに余りあり 布施や持戒の諸波羅密
念仏懺悔修行等 そのしな多き諸善行 皆この中に帰するなり
一座の功をなす人も 積し無量の罪ほろぶ 悪趣何処にありぬべき
浄土即ち遠からず かたじけなくもこの法を 一たび耳にふるる時
讃歎随喜する人は 福を得る事限りなし 況や自ら回向して
直に自性を証すれば 自性即ち無性にて 既に戯論を離れたり

因果一如の門ひらけ 無二無三の道直し 無相の相を相として
行くも帰るも余所ならず 無念の念を念として うたうも舞うも法の声
三昧無礙の空ひろく 四智円明の月さえん この時 何をか求むべき
寂滅現前するゆえに 当所即ち蓮華国 この身即ち仏なり









2013年5月16日木曜日

日本のシャーマニズム 




 鎌田茂雄氏著「華厳の思想」に興味深い一節がある。

「日本人に受容された華厳は、しだいに日本人の自然観のなかに定着
するに至った。名もなきもの、微小なるもののなかに無限なるものが宿
っているという「一即多」の思想は、日本人の生活感情にもぴったりす
るものがあった。野に咲く一輪のスミレの花のなかに大いなる自然の生
命を感得することができるのは、日本人の直感力による。華道や茶道の
理念にもこの精神は生きているのである。」                           
「華道も小さな枝のなかに全宇宙を見ようとするし、茶道も、四畳半の小
さな茶室に、山水をすべてそのなかに凝集させていく。また、庭をつくると、
小さいなかへ全宇宙を包含させようとする。」

鎌田氏は「それぞれのなかにすべてがあり、(一即多)、すべてのなかに
それぞれがある(多即一)」という思想が華厳経の中心だと云う。俳句な
んかもそういう世界観なのだろう。芭蕉が西国三十三所の岩間山正法寺
参籠してご本尊の霊験を得、蕉風俳諧を開眼したと云われており、本
横手には芭蕉が「古池や蛙とびこむ水のおと」を詠んだと云う芭蕉の
池がある。正法寺は泰澄大師が開いた寺で、真言宗醍醐派に属している。
石山寺と醍醐寺の間にある寺である。「夏草や 兵どもが 夢の跡」という
句なども、壮大なドラマと過去・現在・未来という歴史が凝縮され、無常感
漂うものがある。

日本のシャーマニズム  神々の顕現

ニヒリズムからの神々の誕生 

 律令制度による改革を進めていた奈良時代には、一方では、鎮護国家
と言う仏教による精神的統一を果たした。ここでは仏教は、病気平癒や疫
病の阻止という医療的な役割と戒律と同じような律令という法の順守を説
き社会のインフラ整備のための労役の奉仕という現実的な大きな社会的
役割をも担った。

 この中心になって活動したのが、修験道や雑密と呼ばれる密教の指導
者達であった。十一面観音というのは、密教の観音様である。懺悔による
精神の浄化は、火によって様々な罪を焚焼し、水によって清める。お水取
りという象徴的な行事を通して、我々は懺悔と徐霊と浄化によって再生を
果たすのである。懺悔とは菩提心の契機となる。

神々の創造
修験道では、役の行者や泰澄大使は権現という神々を創造した。雑密で
は土着神と仏教の仏達が力を協わせ、真言密教では曼荼羅の世界観に
統一される。奈良時代の密教は華厳経学派のお寺から生まれたものがほ
とんどだ。
 華厳経の法とは、「帝釈天の網」に喩えられる。帝釈天の網の結び目に
水晶の宝珠がついていて、そのひとつひとつが他の一切の宝珠を映し
出していると云う。普賢観とよばれ、一つの水晶の宝珠を見れば、すべて
の因果関係が見えるという喩えである。一つの珠にすべての事象が納め
られているという意味の法の理法を説いている。