2013年5月16日木曜日

日本のシャーマニズム 




 鎌田茂雄氏著「華厳の思想」に興味深い一節がある。

「日本人に受容された華厳は、しだいに日本人の自然観のなかに定着
するに至った。名もなきもの、微小なるもののなかに無限なるものが宿
っているという「一即多」の思想は、日本人の生活感情にもぴったりす
るものがあった。野に咲く一輪のスミレの花のなかに大いなる自然の生
命を感得することができるのは、日本人の直感力による。華道や茶道の
理念にもこの精神は生きているのである。」                           
「華道も小さな枝のなかに全宇宙を見ようとするし、茶道も、四畳半の小
さな茶室に、山水をすべてそのなかに凝集させていく。また、庭をつくると、
小さいなかへ全宇宙を包含させようとする。」

鎌田氏は「それぞれのなかにすべてがあり、(一即多)、すべてのなかに
それぞれがある(多即一)」という思想が華厳経の中心だと云う。俳句な
んかもそういう世界観なのだろう。芭蕉が西国三十三所の岩間山正法寺
参籠してご本尊の霊験を得、蕉風俳諧を開眼したと云われており、本
横手には芭蕉が「古池や蛙とびこむ水のおと」を詠んだと云う芭蕉の
池がある。正法寺は泰澄大師が開いた寺で、真言宗醍醐派に属している。
石山寺と醍醐寺の間にある寺である。「夏草や 兵どもが 夢の跡」という
句なども、壮大なドラマと過去・現在・未来という歴史が凝縮され、無常感
漂うものがある。

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