芭蕉「野ざらし紀行」
野ざらしを 心に風の しむ身哉
秋十(と)とせ 却って江戸を 指さす故郷
貞享元年秋、徳川第五代将軍綱吉の頃、芭蕉は隅田川深川の庵か
ら門人の千里(ちり)を伴い、故郷の伊賀上野に向かった。野ざらしとは、
野に晒したしゃれこうべのことである。芭蕉四十一才。五年後には奥の
細道への旅に出る。
江戸も十年になるが、故郷に向かう旅が却って江戸を恋しく思う。葛飾
北斎と安藤広重の対照的な個性のように、芭蕉の句には対立する概念
が対照的に描かれている。ここでは、「野ざらし」と「こころ」であり、「江戸」
と故郷(伊賀上野)である。
霧しぐれ 富士を見ぬ日ぞ 面白き (箱根)
「関越ゆる日は雨降て、山皆雲に隠れたり。」箱根の関所を越える日は
雨降りで、いつも深川の草庵から眺めていた富士山は見えない。山深く
一面は霧に覆われている。心中に晴れた日の富士を思い描くのも一興
である。芭蕉は禅宗の影響を強く受けていると思われる。「野ざらし」は
禅定の白骨観から来ているのかも知れない。
北斎の富士
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