2013年4月12日金曜日

日本のシャーマニズム  十一面経


 十一面経は、陀羅尼で梵語の原文を漢字で音写したものである。呪文
として、山林修行の行者に伝わっていた。空海の真言密教以前の密教の
経典として、元興寺や大安寺を拠点として、竜樹が説いた三論宗、華厳、
法相などの、梵語と漢語に堪能な留学僧やその弟子達によって伝えられ
た。天台宗や真言宗を生む大きな影響を与えたと思われる。

 しかし、最も早く密教を習得していたのは役の行者であり、梵語陀羅尼
に通じていたようである。幼少の頃より梵字を書いたと、箕面山瀧安寺に
伝わる。また、真言宗の在家の勤行本の役行者和讃には、大日如来を
尊拝し密印真言を受けて神力自在であったと述べられ、箕面の滝で竜樹
菩薩から潅頂密法を受けたと伝えられています。

 那智山青岸渡寺には、仁徳天皇の頃(4世紀)に、インド天竺の僧裸形
上人が那智山大滝で修行して寺を開基したと伝承されている。インド僧
法道仙人は景行天皇の時に中国朝鮮を経て、播州清水寺を開いたと寺
の縁起に伝えられている。

 かなり以前からインドの僧が日本に来ていたらしいのである。尤も、大
古の昔、日本人の祖先が大陸から渡って来たことは明らかなのだから、
文明の進んだ国の人が来ても何ら不思議ではない。

 我々日本人がシャーマニズムを起源とする民族だという説があるくらい
で、大古の昔、中央アジア辺りから遊牧国家として渡って来たようなので
ある。バイカル湖の周辺に住むブリヤード人と日本人のDNAが一致し
ていることが分かっている。細石刃はバイカル湖周辺から拡散して来た
という考古学の視点もある。ブリヤード共和国の国歌には、桜が謳われて
いる。







 













日本のシャーマニズム 法華懺法



 源氏物語「若紫」に戻りますが、「法華三昧行う懺法の声」とあります。
法華懺法は、法華経を読誦して罪障を懺悔し、後生善所を願う法要で
天台宗の重要な儀式です。

 懺悔は仏教の修行の重要な一つになっており、自ら意識するしないに
かかわらず、自分が犯したであろう罪過を全身全霊をもって悔い改め、
仏の前にそのゆるしをえて、心身を清浄にします。懺悔はさとりであると
まで言われ、毎日の勤行に欠かせません。

 この「懺悔」を具現化したものに、東大寺のお水取りが考えられます。
この行事は、東大寺でも非常に重要な「不退転の行法」として伝えられ
ています。奈良時代に疫病を抑えた、修験僧と十一面観音信仰とは深
い関係があります。

 東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)は、天平勝宝4年(752)に、実忠
和尚(じゅちゅうかしょう)によって創始された。実忠和尚は東大寺を開
山した良弁僧正の高弟でした。

 
 修二会の正式名称は「十一面悔過(けか)」といいます。われわれが日
常に犯している様々な過ちを、二月堂の本尊である十一面観世音菩薩
の宝前で、懺悔することを表わしています。修二会が創始された奈良時
代には、天災や疫病や反乱は国家の病気と考えられ、鎮護国家、五穀
豊穣、万民快楽などを願う行事とされました。

 この法会は、現在では3月1日より2週間にわたって行われるが、元は
旧暦の2月1日から行われていた。
 3月12日深夜(13日の午前1時半頃)、若狭井(わかさい)という井戸から
観音様にお供えする「お香水(おこうずい)」を汲み上げる「お水取り」の
儀式が行われる。練行衆の道明かりとして、夜ごと大きな松明(たいまつ)
がともされる。

 深夜にやるのは、いかにも秘儀めいていて、効験がありそうに思われる。
家の宗派が曹洞宗で、晩の回向として大悲心陀羅尼経にはじまって、真言
や陀羅尼が続く。晩とあるのだから、やっぱり深夜なのかと思う。













 


日本のシャーマニズム キハダ


 キハダ(オウバク)は、ミカン科の落葉高木で、高さは10m~20mで
5月末から7月初旬にかけて黄色い花が見られる。樹皮はコルク質で、
内樹皮が鮮黄色である。この樹皮から、外皮のコルク質を取り除いて
内皮の黄色い部分を乾燥させたものが、生薬の黄檗である。

 健胃,整腸薬の他に、化粧品に配合すると抗菌作用や肌荒れ改善に
効果がある。再春館製薬所の化粧品に使われている。樹齢20年以上
のキハダは抗菌成分のベルべリンを多く含み、雨量の多い7月中旬から
お盆までに、樹皮をはぎとる。この時期は水分を多く含み、外皮のコルク
層をきれいに剥ぎとることが容易であると言う。

 強い抗菌作用をもつ黄檗は、チフス、コレラ、赤痢の病原菌に対して効
能がある。陀羅尼助や百草丸として古来より処方されているが、北海道
では「しころ」と呼ばれているらしい。

 民間療法として、胃腸薬の他に肝臓病に内服したり貧血、鎮痛剤に使
われたり、煎汁は結膜炎等に妙効があると言うが薬事法から効能を謳う
ことはできない。粉末を酢で練って骨折や念挫の湿布としても使われて
いたらしい。種子は薬用、殺虫剤として使われた。

 又、染色にも使われ、水溶性多糖類を含み染料助剤となり食物繊維に
よく染着する。防虫作用があり、写経用紙を染めて使った。正倉院にその
記録と遺品がある。木は家具や調度に利用された。

 陀羅尼助に含まれるゲンノショウコウ、ガジュツ末も、研究次第で多くの
効能が見いだされる健康食品であると思われる。

日本のシャーマニズム  陀羅尼助


 光源氏がわらは病に密教の聖僧の修法を受けたが、この時に処方
された薬は陀羅尼助丸ではなかっただろうか?陀羅尼助は胃腸の薬
で大峰山の開祖「役行者」がその製法を伝えたと云われ、古来より生
薬として愛用されて来た。

 私の子どもの頃には、家庭での常備薬として薬箱に必ず置いてあっ
た。陀羅尼という怪しい文字に畏怖すら感じ秘薬として奥深く隠されて
いた。

 陀羅尼助の起源は、奈良時代前に疫病が流行し多くの人が腹痛に
苦しんでいたのを救うために、役行者が山中の黄柏(オウバク)の木
の皮をはいで、煎じ薬として飲ませたのが始まりであると云う。

 大峰修行の山伏達が、山中の修行中の持薬として愛用し、やがて
旅人達の道中薬として一般に使われ、家庭での常備薬となったと云
う。

 陀羅尼助丸の主原料はオウバクのキハダの樹皮を煮詰めて水製
エキスとし、ゲンノショウコウ、ガジュツを加えて乾燥させたものである。
オウバク、ゲンノショウコウ、ガジュツはいずれも殺菌作用があり、か
なり強い薬だと思われる。



2013年4月11日木曜日

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日本のシャーマニズム 僧都





すなはち、僧都参りたまへり。法師なれど、いと心恥づかしく人柄もや
むごとなく、世に思はれたまへる人なれば、軽々しき御ありさまを、はし
たなう思す。かく籠もれるほどの御物語など聞こえたまひて、「同じ柴の庵
なれど、すこし涼しき水の流れも御覧ぜさせむ」と、せちに聞こえたまへ

 
 さて、この寺の身分の高い僧都(法師)が源氏のお見舞いに伺い、僧都
身づから、読経をたてまつる。


「阿弥陀仏ものしたまふ堂に、することはべるころになむ。初夜、いまだ勤
めはべらず。過ぐしてさぶらはむ」とて、上りたまひぬ。

君は、心地もいと悩ましきに、雨すこしうちそそき、山風ひややかに吹
きたるに、滝のよどみもまさりて、音高う聞こゆ。すこしねぶたげなる読経
の絶え絶えすごく聞こゆるなど、すずろなる人も、所からものあはれなり。
まして、思しめぐらすこと多くて、まどろませたまはず。初夜と言ひしか
ども、夜もいたう更けにけり。内にも、人の寝ぬけはひしるくて、いと忍
びたれど、数珠の脇息に引き鳴らさるる音ほの聞こえ、なつかしううちそ
よめく音なひ、あてはかなりと聞きたまひて、ほどもなく近ければ、外に
立てわたしたる屏風の中を、すこし引き開けて、扇を鳴らしたまへば、お
ぼえなき心地すべかめれど、聞き知らぬやうにやとて、ゐざり出づる人あ
なり

 源氏はこのような時にも、夕方、眼をつけた清らかな少女若紫に渡りを
つけているが、それはさておき、一晩かけて僧たちは読経を続けていた
ようである。

暁方になりにければ、法華三昧行ふ堂の懺法の声、山おろしにつきて聞
こえくる、いと尊く、滝の音に響きあひたり。

 法華三昧行う懺法の声という具体的な呪法が出てくる。


明けゆく空は、いといたう霞みて、山の鳥どもそこはかとなうさへづり
あひたり。名も知らぬ木草の花どもも、いろいろに散りまじり、錦を敷け
ると見ゆるに、鹿のたたずみ歩くも、めづらしく見たまふに、悩ましさも
紛れ果てぬ。
聖、動きもえせねど、とかうして護身参らせたまふ。かれたる声の、い
といたうすきひがめるも、あはれに功づきて、陀羅尼誦みたり。
 
 ここでは、聖は護身法と陀羅尼を誦んだとある。

聖、御まもりに、独鈷たてまつる。見たまひて、僧都、聖徳太子の百済
より得たまへりける金剛子の数珠の、玉の装束したる、やがてその国
より入れたる筥の、唐めいたるを、透きたる袋に入れて、五葉の枝に
付けて、紺瑠璃の壺どもに、御薬ども入れて、藤、桜などに付けて、所
につけたる御贈物ども、ささげたてまつりたまふ。
君、聖よりはじめ、読経しつる法師の布施ども、まうけの物ども、さま
ざまに取りにつかはしたりければ、そのわたりの山がつまで、さるべき物
ども賜ひ、御誦経などして出でたまふ。

 独鈷という密教の法具のことや薬のことが明記されています。又、この
法具が聖徳太子が百済より得た金剛子の数珠の装束がしてあるとあり
ます。





















日本のシャーマニズム 瘧病



瘧病にわづらひたまひて、よろづにまじなひ加持など参らせたまへど、し
るしなくて、あまたたびおこりたまひければ、ある人、「北山になむ、なに
がし寺といふ所に、かしこき行ひ人はべる。去年の夏も世におこりて、人
びとまじなひわづらひしを、やがてとどむるたぐひ、あまたはべりき。し
しこらかしつる時はうたてはべるを、とくこそ試みさせたまはめ」など聞
こゆれば、召しに遣はしたるに、「老いかがまりて、室の外にもまかでず」
と申したれば、「いかがはせむ。いと忍びてものせむ」とのたまひて、御供
にむつましき四、五人ばかりして、まだ暁におはす。

                                源氏物語 若紫


 源氏物語の若紫の冒頭にわらは病に罹った光源氏がいろいろと加持
祈祷をしたが効験がみられず、霊験あらたかと評判の聖のところへ出か
けるくだりである。




寺のさまもいとあはれなり。峰高く、深き巖屋の中にぞ、聖入りゐたり
ける。登りたまひて、誰とも知らせたまはず、いといたうやつれたまへれ
ど、しるき御さまなれば、
「あな、かしこや。一日、召しはべりしにやおはしますらむ。今は、この世
のことを思ひたまへねば、験方の行ひも捨て忘れてはべるを、いかで、か
うおはしましつらむ」
と、おどろき騒ぎ、うち笑みつつ見たてまつる。いと尊き大徳なりけり。


さるべきもの作りて、すかせたてまつり、加持など参るほど、日高くさし
上がりぬ。


 「さるべきもの作りて、すかせたてまつる、加持など参る」とは、どのよう
な加持祈祷であったのか、定かではありません。



「暮れかかりぬれど、おこらせたまはずなりぬるにこそはあめれ。はや帰ら
せたまひなむ」
とあるを、大徳、
「御もののけなど、加はれるさまにおはしましけるを、今宵は、なほ静かに
加持など参りて、出でさせたまへ」と申す。
「さもあること」と、皆人申す。君も、かかる旅寝も慣らひたまはねば、さ
すがにをかしくて、
「さらば暁に」とのたまふ。

 聖は、「御もののけなど、加はれる」から、夜も加持祈祷が必要だと云う。
はやり病の他にもののけの障りがあると言っているのである。