2013年4月11日木曜日
日本のシャーマニズム 瘧病
瘧病にわづらひたまひて、よろづにまじなひ加持など参らせたまへど、し
るしなくて、あまたたびおこりたまひければ、ある人、「北山になむ、なに
がし寺といふ所に、かしこき行ひ人はべる。去年の夏も世におこりて、人
びとまじなひわづらひしを、やがてとどむるたぐひ、あまたはべりき。し
しこらかしつる時はうたてはべるを、とくこそ試みさせたまはめ」など聞
こゆれば、召しに遣はしたるに、「老いかがまりて、室の外にもまかでず」
と申したれば、「いかがはせむ。いと忍びてものせむ」とのたまひて、御供
にむつましき四、五人ばかりして、まだ暁におはす。
源氏物語 若紫
源氏物語の若紫の冒頭にわらは病に罹った光源氏がいろいろと加持
祈祷をしたが効験がみられず、霊験あらたかと評判の聖のところへ出か
けるくだりである。
寺のさまもいとあはれなり。峰高く、深き巖屋の中にぞ、聖入りゐたり
ける。登りたまひて、誰とも知らせたまはず、いといたうやつれたまへれ
ど、しるき御さまなれば、
「あな、かしこや。一日、召しはべりしにやおはしますらむ。今は、この世
のことを思ひたまへねば、験方の行ひも捨て忘れてはべるを、いかで、か
うおはしましつらむ」
と、おどろき騒ぎ、うち笑みつつ見たてまつる。いと尊き大徳なりけり。
さるべきもの作りて、すかせたてまつり、加持など参るほど、日高くさし
上がりぬ。
「さるべきもの作りて、すかせたてまつる、加持など参る」とは、どのよう
な加持祈祷であったのか、定かではありません。
「暮れかかりぬれど、おこらせたまはずなりぬるにこそはあめれ。はや帰ら
せたまひなむ」
とあるを、大徳、
「御もののけなど、加はれるさまにおはしましけるを、今宵は、なほ静かに
加持など参りて、出でさせたまへ」と申す。
「さもあること」と、皆人申す。君も、かかる旅寝も慣らひたまはねば、さ
すがにをかしくて、
「さらば暁に」とのたまふ。
聖は、「御もののけなど、加はれる」から、夜も加持祈祷が必要だと云う。
はやり病の他にもののけの障りがあると言っているのである。
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