2012年6月23日土曜日

武殻王(たけかひこのみこ)


右、日本書紀ヲ検(カムガフル)ニ、讃岐国ニ幸スコト無シ。亦軍王ハ詳
ツマビラカナラズ。但シ山上憶良大夫ガ類聚歌林ニ曰ク、紀ニ曰ク、
天皇十一年己亥冬十二月己巳朔壬午、伊豫ノ温湯ノ宮ニ幸セリト云ヘリ。
一書ニ云ク、是ノ時宮ノ前ニ二ノ樹木在リ。此ノ二ノ樹ニ斑鳩(イカルガ)
比米(シメ)二ノ鳥、大ニ集マレリ。時ニ勅(ミコトノリ)シテ多ク稲穂ヲ掛ケテ
之ヲ養ヒタマフ。乃チ作メル歌ト云ヘリ。若疑ケダシ此便ヨリ幸セルカ。


これはあくまで舒明天皇時代のものと解釈すれば、このような注記がある
のも尤もなことである。この注記は後から付けたものと考えられている。


これはおそらく時代を超えた伝承の歌だと思います。
讃岐国安益郡(あやのこほり)に幸(いでませる時の軍王(いくさのおほきみ)
と言うのは、時代も遡った第12代・景行天皇の皇子・日本武尊の御子で、
綾君の祖先である武殻王(たけかひこのみこ)のことを彷彿とさせる。
そうならば一層、遠つ神 吾大君という言葉が身に迫ってくる。


古事記や万葉集の面白さというのは、実証主義を超えて、時間や空間の制約をとび
越えて、継承された神話や伝説が生き生きと描かれていることだ。時代や空間を
造力が超えて、神々や伝説が創り上げられ、享受する側の想像力も豊かにする。


神話とは、時間や空間や事実すらも超えてしまう歴史的真実だ。真理がそこにある。


宇夫階(うぶしな)神社社伝によると、第12代・景行天皇の皇子・日本武尊の
御子で、 綾君の祖先である武殻王が阿野群(現 綾歌郡)に封ぜられて下向
され(国造となり)、部内の海岸を御巡視の折、にわかに暴風にあい御船が
危うくなられた時、王が宇夫志奈大神に祈念なさると、どこからともなく一羽
の烏が御船の前にあらわれた。水夫に命じて、烏の飛び行く方向に船をこが
せられた所、泊浦(今の本島)について無事危難を逃れることが出来きた。
そこで王は一層大神を仰がれ、小烏大神と称えられた。






  香川県綾歌郡宇多津町網の浦近辺


 

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