2012年6月22日金曜日

弓の霊験


 弓の霊験

安田元久著「源義家」には、次のような伝承を伝えている。

しかも神に近い業を示す義家は、伝説の世界では、さらに神の如き霊験をあらわす
存在となる。「古事談」には、「白川上皇が、かつて御寝(ぎょしん)になるとき、物の
怪(もののけ)に悩まされた。その時、しかるべき武具を枕元に置けばよいということ
になって、義家朝臣をめされたので、義家は黒塗の弓矢を一張(ひとはり)すすめた。
上皇がそれを枕元に立てられたところ、その後は「物の怪」に襲われなかった。

また、源平盛衰記には次のような説話がある。

去る寛治年中に、堀川天皇がご病気になり、医師の治療も、また祈祷も効果があら
われないので、公卿たちが詮議した結果、この御病気は普通のものではない、何か
の悪霊がたたりをしているのだということになった。そこで武士をもって内裏を警固さ
せることとなり、それを義家に命じた。勅を蒙った義家は、甲冑をつけ、弓箭を帯して
御所の南庭に立ちはだかり、御殿の上を睨んで、大きな声をはりあげ、「清和帝ニハ
四代ノ孫、多田満仲ガ三代ノ後胤、伊予守頼義入道カ嫡男前陸奥守源義家、大内
ヲ守護シ奉ル、イカナル悪霊・鬼神ナリトモ、イカデカ望ヲナスベキ、罷リ退ケ」と呼ば
わり、弓の弦を三度鳴らした。殿上も階下も、その声のおそろしさに、身の毛もよだつ
気持ちであったが、これによって天皇の御病気は忽ちに平癒されてしまった。

                                   安田元久著「源義家」


皇族から臣下に下った源氏は、天皇家の祭祀をそのまま受け継いだと思われる。
この黒塗りの弓矢なり、弓の弦を三度鳴らすのが古神道の一つに違いない。鎮魂
の儀なのであろう。古神道は天皇家と在野の修験道では異なっていたようだ。

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