会って、最後普賢菩薩のところへ行って、悟りを開くという話から、
54帖になっているんだろうか。
泉鏡花は幽霊を描くことが、小説の中心だった。言葉が実体を
伴わ なかったら、虚構であるから、幽霊という虚構を描くことが、
小説 のモチーフになることは必然である。源氏物語では、葵の
上を襲っ た六条御息所の生霊の凄まじさが、魂が肉体に戻って
も、調伏護摩の香りが衣や髪にしみ 込んで洗ってもとれないとい
う凄惨な筆致で描かれ ている。虚構の世界で、その虚構を保証
するものはリアリズムであ る。言葉を保証するものは、実体を伴
った現実であり、リアリズム だ。
真言密教の経典は神変加持という形而上学の世界だが、書か
れてい る話をレトリックとして考えたら少し蒙も啓かれるかもしれ
ない。 形而上学の問題を言語で語る場合には、レトリックを使う
しかない のかもしれない。葵の上を襲った御息所の生霊のように
魂が肉体 に戻って来たら衣服や髪に調伏護摩の香りがしみつい
て、洗っても とれないという描写が、このレトリックにあたるような
ものだろうか。
真言密教の経典には、独鈷杵という法具の大切さをうたってい
る 。両端が矢じりになってるようなもので、外部の魔軍を摧破し、
内 には己の煩悩を滅する働きがある、とても大切な法具だという。
これを、源氏物語では、夕顔が生霊に襲われて絶命した後に、
源 氏がはやり病にかかって、山寺の聖に修法で治してもらうが 、
この時にこの聖がもののけも憑いているからといって、一晩籠
っ て修法をやる。暁に修法が終わって、独鈷杵を源氏に聖が贈
る。外部の魔軍は払ったけれど、内なる煩悩は源氏自身が滅し
なければならないという暗示だろうか?
紫式部には、花山 院の影響が大きく影を落としていたと思われ
る。19歳で退位して花山天皇は出家したが、親王時代に学問を
教えた紫式部の父藤原為時も官職を辞任することになり、約10
年に亘って散位の状況となった。
書写山の性空を訪れた花山院は輪円具足という意味から円教
寺の称号を与えたと云う。その後、中宮彰子や紫式部、和泉式
部といった錚々たる貴人が播磨の円教寺の性空を訪れている。
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