青旗の木幡の上を通ふとは目には見れども直に逢はぬかも
天智天皇崩御のときに、皇后の倭姫王(やまとひめのおおきみ)の詠
れた晩歌である。天智の魂が空をかけるのが、倭姫王には見えるので
ある。この頃、天皇の皇后には、シャーマンが歴代多かった。天皇家出
身のものが皇后になったからかもしれない。この時代より遡ると、神功
皇后もシャーマンであったし、卑弥呼はその典型であったといえる。
皇極天皇も、蘇我入鹿が大雲経等を読む行法で雨乞いに失敗したが、
後日、天皇自ら川原にひざまづいて天を仰ぎ祈ると、雷鳴とともに大雨
が数日ふり続けたと云う。
卑弥呼は鬼道で人を惑わしていたと、魏志倭人伝は伝えている。同じ
天皇家でも男性より女性がシャーマンの中心であったのは、なにか特
別な教育方法でもあったのだろうか。男性皇族は荒ぶる神が降臨した
かのような武き戦をした。弓に霊威が宿る奇譚が多い。
卑弥呼の鬼道も火を焚きあげると云うイメージから逃れられないが
実際、古代の祈りの場所には多くの燃焼跡が窺えるという。密教の
護摩焚きは、インドのバラモン教の行法だと云う。奈良時代の密教僧
が鎮護国家のために超人的な働きをしたのは、仏教経典を理解した
後、お寺を出て厳しい山林修行をした賜物なのである。
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