2013年4月20日土曜日
日本のシャーマニズム 加持祈祷
御息所は葵の上を苦しめる夢をみる。
「年ごろ、よろづに思ひ残すことなく過ぐしつれど、かうしも砕けぬを、は
かなきことの折に、人の思ひ消ち、なきものにもてなすさまなりし御禊の
後、ひとふしに思し浮かれにし心、鎮まりがたう思さるるけにや、すこし
うちまどろみたまふ夢には、かの姫君とおぼしき人の、いときよらにてあ
る所に行きて、とかく引きまさぐり、うつつにも似ず、たけくいかきひた
ぶる心出で来て、うちかなぐるなど見えたまふこと、度かさなりにけり。」
葵の上の方は、執念深い御もののけの一つに生死をさまよう苦し
みにあっている。
「まださるべきほどにもあらずと、皆人もたゆみたまへるに、にはかに御
けしきありて、悩みたまへば、いとどしき御祈り、数を尽くしてせさせたま
へれど、例の執念き御もののけ一つ、さらに動かず、やむごとなき験者
ども、めづらかなりともてなやむ。さすがに、いみじう調ぜられて、心苦
しげに泣きわびて、
「すこしゆるべたまへや。大将に聞こゆべきことあり」とのたまふ。
「さればよ。あるやうあらむ」
とて、近き御几帳のもとに入れたてまつりたり。むげに限りのさまにも
のしたまふを、聞こえ置かまほしきこともおはするにやとて、大臣も宮も
すこし退きたまへり。加持の僧ども、声しづめて法華経を誦みたる、いみ
じう尊し。御几帳の帷子引き上げて見たてまつりたまへば、いとをかしげ
にて、御腹はいみじう高うて臥したまへるさま、よそ人だに、見たてまつら
むに心乱れぬべし。」
験者の修法によって、御もののけが調伏されて、「すこしゆるべたま
へや」と葵の上の口を借りて述べている。いよいよ、御息所の生霊が
その正体を現す。
「いで、あらずや。身の上のいと苦しきを、しばしやすめたまへと聞こえむ
とてなむ。かく参り来むともさらに思はぬを、もの思ふ人の魂は、げにあ
くがるるものになむありける」
と、なつかしげに言ひて、
「 嘆きわび空に乱るるわが魂を結びとどめよしたがへのつまとのたまふ
声、けはひ、その人にもあらず、変はりたまへり。「いとあやし」と思しめぐ
らすに、ただ、かの御息所なりけり。あさましう、人のとかく言ふを、よから
ぬ者どもの言ひ出づることも、聞きにくく思して、のたまひ消つを、目に見
す見す、「世には、かかることこそはありけれ」と、疎ましうなりぬ。「あな、
心憂」と思されて、「かくのたまへど、誰とこそ知らね。たしかにのたまへ」
とのたまへば、ただそれなる御ありさまに、あさましとは世の常なり。人々
近う参るも、かたはらいたう思さる。」
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