「 宵過ぐるほど、すこし寝入りたまへるに、御枕上に、いとをかしげなる
女ゐて、
「己がいとめでたしと見たてまつるをば、尋ね思ほさで、かく、ことなるこ
となき人を率ておはして、時めかしたまふこそ、いとめざましくつらけれ」
とて、この御かたはらの人をかき起こさむとす、と見たまふ。
物に襲はるる心地して、おどろきたまへれば、火も消えにけり。うたて
思さるれば、太刀を引き抜きて、うち置きたまひて、右近を起こしたまふ。」
源氏物語 夕顔
「若紫」の卷で、「御もののけなど、加はれる」から、夜も加持祈祷が
必要だと聖が述べたが、その御もののけが前の卷で夕顔にとり憑い
た下りである。御もののけの正体は、六条御息所だと思われるが、嫉
妬のあまり生霊となって、源氏の夢に現れ、驚いて眼を覚ますと、隣で
寝ていた夕顔が正体を失っている。
「紙燭さして参れ。『随身も、弦打して、絶えず声づくれ』と仰せよ。人離
れたる所に、心とけて寝ぬるものか。惟光朝臣の来たりつらむは」と、問
はせたまへば、
「さぶらひつれど、仰せ言もなし。暁に御迎へに参るべきよし申してなむ、
まかではべりぬる」と聞こゆ。この、かう申す者は、滝口なりければ、弓
弦いとつきづきしくうち鳴らして、「火あやふし」と言ふ言ふ」
夕顔
弓弦を鳴らすのは、悪霊を追い払うためである。古神道の呪術のよう
である。鳴弦の儀(めいげんのぎ)または弦打の儀(つるうちのぎ)と呼ば
れ、弓に矢をつがえずに弦を引き音を鳴らす事により、魔気・邪気を祓う
事を目的とする。病気祓い、不吉な出来事が起こった際など幅広く行わ
れる。なかでも、源義家の弓の霊験はあらたかであった。
白川上皇が、御寝(ぎょしん)になるとき、物の怪(もののけ)に悩まされ
れ、武具を枕元に置けばよいということになって、義家朝臣をめされた
ので、義家は黒塗の弓矢を一張(ひとはり)すすめた。上皇がそれを枕
元に立てられたところ、その後は「物の怪」に襲われなかった。
「古事談」 安田元久著「源義家」
寛治年中に、堀川天皇がご病気になり、医師の治療も、また祈祷も効果
があらわれないので、公卿たちが詮議した結果、この御病気は普通のも
のではない、何かの悪霊がたたりをしているのだということになった。そこ
で武士をもって内裏を警固させることとなり、それを義家に命じた。勅を蒙
った義家は、甲冑をつけ、弓箭を帯して御所の南庭に立ちはだかり、御殿
の上を睨んで、大きな声をはりあげ、「清和帝ニハ四代ノ孫、多田満仲ガ
三代ノ後胤、伊予守頼義入道カ嫡男前陸奥守源義家、大内ヲ守護シ奉ル、
イカナル悪霊・鬼神ナリトモ、イカデカ望ヲナスベキ、罷リ退ケ」と呼ばわり、
弓も弦を三度鳴らした。殿上も階下も、その声のおそろしさに、身の毛もよ
だつ気持ちであったが、これによって天皇の御病気は忽ちに平癒されてし
まった。
「源平盛衰記」 安田元久著「源義家」 やすみしし 我が大君の 朝には 取り撫でたまひ 夕へには い寄り立たしし
み執らしの 梓の弓の 中弭の 音すなり 朝猟に 今立たすらし 夕猟に
今立たすらし み執らしの 梓の弓の 中弭の 音すなり
「万葉集 天皇の宇智の野に(遊猟)みかりしたまへる時、なかちひめ
みこ(中皇命)のはしひとのむらじおゆ(間人連老)をして献らせたまふ歌」
梓巫女(あずさみこ)は梓弓を鳴らしながら神降ろしの呪文を唱えて、神
懸かりを行って生霊や死霊を呼び出して(口寄)、その霊に仮託して託宣や
呪術(神語り)を行ったと云う。
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