2013年4月13日土曜日

日本のシャーマニズム 大仏と黄金


 
 

 東大寺を開山した良弁上人は、聖武天皇に大仏を荘厳するために、
金峯山は黄金の山だから、金剛蔵王菩薩に祈り、金を求めるように
言われた。

 良弁が吉野の蔵王権現に参り祈念すると、夢中に、「この山の黄金
は弥勒菩薩下生の時、大地に敷こうとするものだから、それはできな
い。琵琶湖の南の勢多(現在の瀬田)という所に山があるから、そこで
持念したら、必ず黄金を得る」と告げた。

 瀬田に行くと、一人の老翁が釣りをしていた。この山の主比良明神だ
という。「この地は如意輪観音の霊応の地である。ここで祈念すれば、
願は早く成就するだろう。」と告げて、忽然と消えた。石の傍らに、草の
庵をつくり、観音の像を安置した。これが石山寺の起こりである。

 2年後、陸奥守敬福から、陸奥国で産出した黄金900両が貢上された。
聖武天皇は狂喜して、東大寺大仏殿の仏前に詔を捧げたと云う。これ
により、年号は天平から天平勝宝と改められた。

 
 先ず神のお告げによって、観音様をまつり、祈念するというのは密教
の効験譚によくある話で、観音霊験譚にふさわしい石山寺で紫式部が
源氏物語の着想を得たというのも、また尤もらしい話となっている。


 大仏に使用する黄金を得るために、当初は遣唐使を派遣して購入す
るつもりだったが、宇佐の八幡神から金は必ず国内より出るという託宣
が出され、聖武天皇は金峰山に使者を派遣したのである。(扶桑略記)
 それ以前に、天皇が莫大な費用を使って仏教寺院を建立すれば、貴
族から反対されるかも知れないと言う心配があった時に、宇佐八幡神
から「われ天神地祇を率い、必ず成し奉る。銅の湯を水となし、我が身
を草木に交えて障ることなくさん」という協力の託宣が出されていた。
 陸奥産出の黄金120両が宇佐八幡に奉納された。








































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