2013年4月17日水曜日

日本のシャーマニズム 御もののけ




「九月二十日のほどにぞ、おこたり果てたまひて、いといたく面痩せたま
へれど、なかなか、いみじくなまめかしくて、ながめがちに、ねをのみ泣
きたまふ。見たてまつりとがむる人もありて、「御物の怪なめり」など言ふ
もあり。」
                                                                   源氏物語 夕顔

 源氏の病が終息したのは、9月20日の彼岸に入ってからであった。

「かの人の四十九日、忍びて比叡の法華堂にて、事そがず、装束よりはじ
めて、さるべきものども、こまかに、誦経などせさせたまひぬ。経、仏の飾
りまでおろかならず、惟光が兄の阿闍梨、いと尊き人にて、二なうしけり。
御書の師にて、睦しく思す文章博士召して、願文作らせたまふ。その人
となくて、あはれと思ひし人のはかなきさまになりにたるを、阿弥陀仏に
譲りきこゆるよし」
                               源氏物語 夕顔  
  
 夕顔の四十九日を盛大に源氏は供養する。八月十五日の夕顔
との逢瀬から、急転直下の夕顔の絶命と法要まで、日付を浮かび
上がらせた意味はなにか。紫式部が執拗に物の怪と憑依現象を
描くのは、彼女自身のシャーマン的な素質を表わしたものだろう。
中臣氏を祖先にもつ藤原氏は元々は天皇家の祭祀を司る家柄だ。
中宮に仕えていた式部は、当然祭りや法要等に詳しかったであろ
う。当時の支配者の考えや慣習がよくわかる一節である。


「君は、「夢をだに見ばや」と、思しわたるに、この法事したまひて、また
の夜、ほのかに、かのありし院ながら、添ひたりし女のさまも同じやうにて
見えければ、「荒れたりし所に住みけむ物の、我に見入れけむたよりに、
かくなりぬること」と、思し出づるにもゆゆしくなむ。」

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