2013年4月23日火曜日

日本のシャーマニズム 宇佐八幡神の託宣


 聖武天皇が東大寺の大仏を建立するに当たって、宇佐の八幡神
 から「われ天神地祇を率い、必ず成し奉る。銅の湯を水となし、わ
 が身を草木に交えて障ることなくさん」と言う協力の託宣が出され
 た。大仏に塗る金が不足すると、宇佐神宮(宇佐八幡宮)の託宣
 があって我が国で産金するという。そこで天皇は金峰山に使いを
 遣わして黄金を産してほしいと祈ったところ、「我が山の金は慈尊
 出世時、即ち弥勒菩薩がこの世に出現された時に使うべきもので
 ある。しかし近江国志賀郡瀬田江付近に一人の老人が座っている
 石があるから、其の上に観音様をまつって祈れば黄金は自ずと手
 に入る」、とのお告げがあった。そこで其の場所を訪ねて(今の石
 山寺という)如意輪観音を安置し、沙門良弁法師が祈りを捧げた
 ところ、間もなく陸奥の国より黄金が献上された。そこでこの黄金
 の中から先ず120両を分かって宇佐神宮(宇佐八幡宮)に奉納し
 たと云う。(扶桑記)

 大伴家持は宇佐八幡神の託宣が実現して、神の存在を確信した
 に違いない。良弁の祈りの成果によって、聖武天皇の鎮護国家を
 守る決意をしたのだろう。大友家持の驚きは神の啓示のように迫
 っただろう。これが密教なのだ。八幡神は八幡大菩薩になり、仏教
 教学という哲学が祈りの宗教となったのである。


 陸奥国より金を出せる詔書を賀く   大友家持
葦原の 瑞穂の国を 天降り 領らしめける すめろきの 神の命の
御代かさね 天の日嗣と 領らしくる 君の御代御代 敷きまぜる
四方の国には 山河を 広み厚みと たてまつる みつき宝は
数へえず 尽くしもかねつ しかれども 我が大君の 諸人を
いざなひたまひ 善き事を 始めたまひて 黄金かも 確けくあらむと
思ほして 下悩ますに 鶏が鳴く 東の国に 陸奥の 小田なる山に
黄金ありと 申したまへれ 御心を 明らめたまひ 天地の 
神相うずなひ すめろきの みたま助けて 遠き代に かかりしことを
朕が御世に あらはしてあれば 御食国は 栄えむものと 神ながら
思ほしめして もののふの やそ伴の雄を まつろへの
むけのまにまに 老人も 女童も しが願ふ 心だらひに 撫で賜ひ
治め賜へば ここをしも あやに尊み 嬉しけく いよよ思ひて 
大伴の 遠つ神祖の その名をば 大来目主と 負ひもちて
仕へし官 海行かば 水漬く屍 山行かば 草むす屍 大君の
辺にこそ死なめ かへり見は せじと言立て ますらをの 
清きその名を いにしへよ 今のをつつに 流さへる 祖の子どもぞ
大伴と佐伯の氏は 人の祖の 立つることだて 人の子は 
祖の名絶たず 大君に まつろふものと 言ひつげる 言のつかさぞ
梓弓 手にとりもちて 剣太刀 腰にとりはき 朝まもり 夕のまもりに
大君の 御門のまもり われをおきて 人はあらじと いや立て 
思ひしまさる 大君の御言の幸の 聞けば貴み

 反歌
大夫の こころ思ほゆ 大君の 御言のさきを 聞けば貴とみ
大夫の 遠つ神祖の 奥つ城は しるく標立て 人の知るべく
すめろきの 御代栄えむと 東なる陸奥山に くがね花咲く






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