2013年4月24日水曜日

日本のシャーマニズム 物語の発生と和歌

 
 宇佐八幡宮の託宣が、例え仕組まれたものであっても、家持の神
と天皇への殉死の誓いは崇高であり、信仰への契機として物語が
発生した意味は考え深い。現代でも、シャーマンの奇跡を我々は体
験することができるから、神仏の存在を疑うことはできない。源氏物
語という物語の華を創り上げたものは、シャーマンの信仰への意思
であり、和歌は祈りとして迫ってくる。そういう意味でも、東大寺の修
二会は代にも美しい物語の祭典である。


二月堂縁起

 実忠和尚二七ヶ日夜の行法の間、来臨影向の諸神一 万三千七百余座、
その名をしるして神名帳を定(さだめ)しに、若狭国(わかさのくに)に遠敷
(おにう)明神と云う神います。遠敷河を領して魚を取りて遅参 す。神、是を
なげきいたみて、其をこたりに、道場のほとりに香水を出して奉るべきよし
を、懇(ねんごろに)に和尚にしめし給ひしかば、黒白二の鵜(う)、 にはか
に岩の中より飛出(とびいで)て、かたはらの樹にゐる。その二の跡より、い
みじくたぐひなき甘泉わき出(いで)たり。石をたたみて閼伽井とす。














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