宇佐八幡宮の託宣が、例え仕組まれたものであっても、家持の神
と天皇への殉死の誓いは崇高であり、信仰への契機として物語が
発生した意味は考え深い。現代でも、シャーマンの奇跡を我々は体
験することができるから、神仏の存在を疑うことはできない。源氏物
語という物語の華を創り上げたものは、シャーマンの信仰への意思
であり、和歌は祈りとして迫ってくる。そういう意味でも、東大寺の修
二会は代にも美しい物語の祭典である。
二月堂縁起
実忠和尚二七ヶ日夜の行法の間、来臨影向の諸神一 万三千七百余座、
その名をしるして神名帳を定(さだめ)しに、若狭国(わかさのくに)に遠敷
(おにう)明神と云う神います。遠敷河を領して魚を取りて遅参 す。神、是を
なげきいたみて、其をこたりに、道場のほとりに香水を出して奉るべきよし
を、懇(ねんごろに)に和尚にしめし給ひしかば、黒白二の鵜(う)、 にはか
に岩の中より飛出(とびいで)て、かたはらの樹にゐる。その二の跡より、い
みじくたぐひなき甘泉わき出(いで)たり。石をたたみて閼伽井とす。
語という物語の華を創り上げたものは、シャーマンの信仰への意思
であり、和歌は祈りとして迫ってくる。そういう意味でも、東大寺の修
二会は代にも美しい物語の祭典である。
二月堂縁起
実忠和尚二七ヶ日夜の行法の間、来臨影向の諸神一 万三千七百余座、
その名をしるして神名帳を定(さだめ)しに、若狭国(わかさのくに)に遠敷
(おにう)明神と云う神います。遠敷河を領して魚を取りて遅参 す。神、是を
なげきいたみて、其をこたりに、道場のほとりに香水を出して奉るべきよし
を、懇(ねんごろに)に和尚にしめし給ひしかば、黒白二の鵜(う)、 にはか
に岩の中より飛出(とびいで)て、かたはらの樹にゐる。その二の跡より、い
みじくたぐひなき甘泉わき出(いで)たり。石をたたみて閼伽井とす。
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