2013年4月16日火曜日

日本のシャーマニズム 夕顔


「人目を思して、隔ておきたまふ夜な夜ななどは、いと忍びがたく、苦しきま
でおぼえたまへば、「なほ誰れとなくて二条院に迎へてむ。もし聞こえあり
て便なかるべきことなりとも、さるべきにこそは。我が心ながら、いとかく人
にしむことはなきを、いかなる契りにかはありけむ」など思ほしよる。
「いざ、いと心安き所にて、のどかに聞こえむ」
                                源氏物語 「夕顔」  
 
 源氏はすっかり夕顔に心を奪われて、二条院で一緒に暮らしたい
と思い詰めていた。

八月十五夜、隈なき月影、隙多かる板屋、残りなく漏りて来て、見慣ら
ひたまはぬ住まひのさまも珍しきに、暁近くなりにけるなるべし、隣の家々、
あやしき賤の男の声々、目覚まして、
「あはれ、いと寒しや」
「今年こそ、なりはひにも頼むところすくなく、田舎の通ひも思ひかけねば、
いと心細けれ。北殿こそ、聞きたまふや」
など、言ひ交はすも聞こゆ。
いとあはれなるおのがじしの営みに起き出でて、そそめき騒ぐもほどな
きを、女いと恥づかしく思ひたり。 
                               源氏物語 「夕顔」

  八月十五日夜、満月である。源氏は夕顔との逢瀬を果たす。女の住ま
 いは狭苦しく、隣近所の物音もうるさく憚れるので、近くの院に移るため
 に、車を引き入れる。

「いざ、ただこのわたり近き所に、心安くて明かさむ。かくてのみはいと苦
しかりけり」とのたまへば、
「いかでか。にはかならむ」
と、いとおいらかに言ひてゐたり。この世のみならぬ契りなどまで頼め
たまふに、うちとくる心ばへなど、あやしくやう変はりて、世馴れたる人
ともおぼえねば、人の思はむ所もえ憚りたまはで、右近を召し出でて、随
身を召させたまひて、御車引き入れさせたまふ。

いさよふ月に、ゆくりなくあくがれむことを、女は思ひやすらひ、とかくのた
まふほど、にはかに雲隠れて、明け行く空いとをかし。はしたなきほどに
ならぬ先にと、例の急ぎ出でたまひて、軽らかにうち乗せたまへれば、右
近ぞ乗りぬる。
そのわたり近きなにがしの院におはしまし着きて、預り召し出づるほど、
荒れたる門の忍ぶ草茂りて見上げられたる、たとしへなく木暗し。霧も深
く、露けきに、簾をさへ上げたまへれば、御袖もいたく濡れにけり。
                                源氏物語 「夕顔」

  院に移ったのは、十五日の翌朝,十六日で、その夜は十六夜(いざよ
 い)の月。源氏と夕顔はもののけに襲われるのである。

紙燭持て参れり。右近も動くべきさまにもあらねば、近き御几帳を引き
寄せて、
「なほ持て参れ」
とのたまふ。例ならぬことにて、御前近くもえ参らぬ、つつましさに、長
押にもえ上らず。
「なほ持て来や、所に従ひてこそ」
とて、召し寄せて見たまへば、ただこの枕上に、夢に見えつる容貌した
る女、面影に見えて、ふと消え失せぬ。
「昔の物語などにこそ、かかることは聞け」と、いとめづらかにむくつけけ
れど、まづ、「この人いかになりぬるぞ」と思ほす心騒ぎに、身の上も知ら
れたまはず、添ひ臥して、「やや」と、おどろかしたまへど、ただ冷えに冷
え入りて、息は疾く絶え果てにけり。
                                源氏物語 「夕顔」        
 
  源氏が灯りをかざすと、「枕の上に、夢にみえつる容貌したる女」の
 面影が見えたかと思うと、忽ち消え失せた。夕顔はすでにこと切れて
 いた。

まことに、臥したまひぬるままに、いといたく苦しがりたまひて、二、三
日になりぬるに、むげに弱るやうにしたまふ。内裏にも、聞こしめし、嘆
くこと限りなし。御祈り、方々に隙なくののしる。祭、祓、修法など、言
ひ尽くすべくもあらず。世にたぐひなくゆゆしき御ありさまなれば、世に
長くおはしますまじきにやと、天の下の人の騷ぎなり。
                                源氏物語 「夕顔」
 
  夕顔の葬儀を済ました後、源氏が重体に陥る。もののけの障りだと
言われて、「祭り、祓、修法」などを行う。

大殿も経営したまひて、大臣、日々に渡りたまひつつ、
さまざまのことをせさせたまふ、しるしにや、二十余日、いと重くわづら
ひたまひつれど、ことなる名残のこらず、おこたるさまに見えたまふ。
穢らひ忌みたまひしも、一つに満ちぬる夜なれば、おぼつかながらせた
まふ御心、わりなくて、内裏の御宿直所に参りたまひなどす。

  二十余日して、ようやく物の怪がおさえられたようである。真言密教
 では、21と云う数字が基本的によくつかわれる。大願成就のために、
 21日間寺に参籠して、誦経したり加持祈祷したりする。真言を目安と
 して21回唱えることも一般的になされる。










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