2013年4月23日火曜日

日本のシャーマニズム ニヒリズムと神

 
 華厳経から真言密教にジャンプしたのは、華厳経の陥るニヒリズムに
あったと思う。奈良時代の行者は教学中心の華厳宗の寺を出て、山岳
行に励み、最終的には衆生済度のために社会的事業に邁進する。
 
 これはニヒリズムの克服に他ならないだろう。空海の真言密教はその
大成であったと思う。悟れる仏が作った法の下に平等だという華厳の教
えは、政治家を魅了するものだが、一方「空観」はこの世の現象を幻と
見渡すから、「生者必滅」というニヒリズムに陥る。これを克服しようとし
たものが、一切衆生の救済という誓願だったと思う。
 平家物語のモチーフは正に華厳経のニヒリズムにあったのだろう。十
一面観音を信仰した平清盛の死と平氏の滅亡は、その象徴的な出来事
に映ったと思われる。源氏の台頭はそういうニヒリズムからの克服であり、
八幡神と密教の接点である八幡大菩薩信仰を背景に、闘う武装集団を生
んだのかもしれない。
 ニーチェがニヒリズを克服するために、超人ツァラトゥストラを考え出し、
自らが神となろうとしたことと同じだろう。三島由紀夫の「癩王のテラス
の観世音菩薩は普く世界を観わたす絶対的存在であり、そのニヒリズム
は「豊饒の海」の認識者であり法の支配者である判事本多に投影される。
三島はニヒリズムを克服するために、自ら剣をとって、神を創造した。

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